氷雨が上がって晴れても、気温はちょっぴり低かったものが。さすがに弥生で、今日は朝から ほこほこと暖かい、なかなかの良い日和で。庭に向いた大きな窓を全開にしても、そうそう“ぶるるっ”と来るほどの冷たさはない。そんな窓辺から振り返って、くるりと室内を見回せば、まだ十代の青年の部屋にしては、家具や調度がシックなもので統一されてる落ち着いた空間が広がっており。元からこうと整えてあったのを何とも構わずに使っているだけの話だとご当人は言っていたが、それでも…レインボウ・ディスプレイがお洒落な、今時のMDコンポだの、シルバーボディのDVDプレイヤーだの、メタリックなフレームの大型テレビだのが不調和にもごちゃりと同居しているとかいうことがない辺り。この部屋のどこか重厚な雰囲気が気に入ってはいるらしく。
“ちゃらちゃらしてるもんがあったら、俺が叩き出してるトコだがな。”
そんな物騒なことを思いつつ、しばし立ち尽くしていた坊やの頭を縁取る金髪の輪郭が、背後から射し入る陽光に淡く光って…まるで神々しい冠のよう。一応は毎日、空気の入れ替えとかちゃんとしてあるって話だったけれど、自分でも何か一端の世話が焼きたくて。大人がするだろう気遣いの真似っこで、窓を開けたりあちこちを眺めやったり。それから、おもむろに立ってゆくと、机の上やらベッドカバーのかかり具合やら、どう分かっているものか、いちいち手のひらをすべらせてみてみたり。ゴミでもしわでもあったなら、そこを正して満足しようと思ったらしいが、
“…さすがだよな。”
よほどの達人が手掛けたものか、書き物机の上は方眼紙でも透かしたかのように、物の配置もぴしっと決まっていたし。ベッドカバーの方は方で、ホテルのベッドメイクを彷彿とさせるよな見事さであり。モデルルームか寝具売り場みたいにきちんと行き届いているというのが坊やにも判って。…でもね。そんなせいかな、ここで寝起きしていた人の、出入りで入れ替えられる活気とか覇気とかいうものとか、出てく時に残してく体温のようなものとか残像とか、逆に ちっとも感じられないの。
“…たったの1週間でこれだもんな。”
これはこれで、寒々しいなって方向で難ありと、少々お顔を曇らせて。もう一回周囲を見回し…やっと気づいたことがあって。小さな顎がひくりと上がった。
「どうしたんだい?」
何かを探してキョロキョロと、金色の髪をふわふわ揺らして。お部屋の真ん中、ベッド、窓辺という間を行ったり来たりしていた坊やへ、今日は淡い色のニットのアンサンブルにセミロングのフレアスカートなんていう、随分とフェミニンな装いのメグさんが、ドアのところから声をかけて来る。そろそろ時間だからと呼びに来たのだが、時間を持て余し、ついでに気持ちも持て余してのうろうろではないような、何かを探しているような眼差しでいる妖一くんだと、そこは察しのいい人だからすぐにも気がついたらしく。
「何か探し物かい?」
「う…ん。あのさ。」
ベッドの上を小さな手が撫でる。言いにくそうな様子だったが、なんの それだけでメグさんには通じるものだったらしく。エナメルで綺麗に整えられた指先を、口許に寄せて“くすすvv”と微笑い、
「ああ、あのクッションだろう? 緑の大きな。」
それと説明されたことはなかったけれど、それでも…何で坊やがこんな態度を見せるのか、そしてそれが誰の求めで何処に行ったかに覚えがあったから。こくりと頷いての上目遣い、探るようなお顔をする坊やへ、
「ルイんトコだよ。びょ・う・い・ん。」
「…あ。/////////」
にっこりとまろやかに笑ったメグさんへ、それ以上は何も言い足さないうちから、真っ赤になった小さな坊や。自分よりも倍も大きい高校生のフットボウラーたちへ、やれダッシュの切れが悪いだの、くっだらねぇ不良の隠語のせめて半分でいいから“走ランのルート”も覚えろだの。恐れもせずに真っ向から、誰の威も借りずに胸を張り、堂々言ってのけ、挑発しもする豪傑が。初心ウブな娘さんみたいに“どうしよ・どしよ”と、瞳を泳がせ、おどおどしていて。これは余程に…本人もそれほどとは思っていなかったらしき、感性の柔らかいところをつついてしまったらしくって。
“可愛いもんだよねぇvv”
別にそれを振りかざして囃し立てようなんて、こちらもまた思ってもないメグさんだったから、
「ルイの奴がネ、身を起こせるようになった途端に、背もたれにせよ肘置きにせよ、アレじゃないと落ち着けないなんて我儘言い出して。それで篠宮さんに言って、持ってってもらったらしいよ。」
小さな子供が手離さない、縫いぐるみか毛布みたいだよねぇなんて。ねぇと笑ってくれたので。声もないまま、こくりと頷き、じゃあ行こうかと促されるまま、主人の居ない部屋を出る。今日はあれから足掛け8日目で、居なかった主人がやっとお部屋に帰って来る日だったから…。
葉柱家の次男坊のルイ坊ちゃんが、急性虫垂炎で入院&即日手術と相なったのが、先週の丁度同じ金曜日のこと。発覚が早かったのと、若い体で回復力も抜群だったため、さしたる炎症や周囲への余波も引き起こさず。順調に回復し、抜糸も済んでの無事な退院と運んだのが今日。玄関前のポーチには、メイドさんたちに賄いのお姉さんたち、お庭の係や運転手さん。家内の手隙の人たちが、何とはなく顔を見せており。却って坊ちゃんが照れてしまわれることを案じて、そんな仰々しいことじゃあないのだからと、迎えには出なくていいぞと高階さんが言い置いたのにね。もうさほどに手を焼かせることもない年頃になられてからも、顔を合わせりゃ気さくに話しかけてくれる、そんな気のいいところが皆にも好かれていた証し。倒れた時にははらはらと心配もされたし、今は今で、どんなにお元気でお帰りか、一目なりと姿を見たいからと、声がかかった訳でもないのに、メグさんや篠宮のお姉さん、それからいつもの金髪の坊やが、ぱたぱたしているところから、大体のあたりをつけての集合であるらしく。そんな中には、
「あうんっvv」
「お前まで来てたか、キング。」
余程に寒い日以外は、広い中庭の芝生を好きなだけ駆け回れと放されている小さなシェルティ。家内の人々の動向やお気に入りの金髪坊やの気配を文字通り“嗅ぎ”取り、賑やかな方へ方へとやって来たらしい。絹糸みたいにつやつやでふかふかな豊かな毛並みを、時折吹く風にぽさぽさと躍らせつつ、一応は“お座り”をして坊やがおでこを撫でてくれるのへ“にゃは〜vv”なんて笑っているが、
「いいか? キング。ルイはお腹を切ったんだからな。いきなり飛びついたらダメなんだぞ?」
赤い首輪を軽く掴んで、真摯な眼差しでつぶらな瞳をのぞき込み、ゆっくりと咥んで含めるように言い諭す。お互いに神妙なまま、
「……………。」×2
しばしの沈黙の中で見つめ合ってたりしたけれど。果たして………通じているのでしょうかしら?
“気は心っていうじゃないのvv”
メグさん、それって例えが違いませんか?(苦笑) そうこうする内、そのキングのお耳がぴくくと震え、聞き馴染みのある大型車の走行音がして。門扉を開く重々しい雷のような音と共に、なだらかなスロープの向こう、玄関前の車寄せまで連なる石畳を黒塗りのセダンが姿を見せると。途端にキングが“わふっ”と吠え立て、落ち着きなく立ち上がる。ねぇねぇ、あれでしょ? お迎えに行かないの? あれに乗ってるんでしょ? 足腰のバネを持て余しているかのように、ちょこまかと小刻みに右を向いたり左を向いたり。すぐ傍らにいる坊やを見、セダンを見と、落ち着かないおチビさんだったが、妖一坊やだとて…決して身体が凍ってしまっていた訳でなく。妙に焦らすようなこともない なめらかさで、それはゆるやかに減速し、この屋敷では此処と決められた位置へぴたりと止まった黒塗りのセダン。運転席から降り立ったドライバーの人が、手際よくすぐ後ろのドアを開けば。パジャマ代わりか、トレーニングウェアの長い脚がまずは出て来て。それからぬっと立ち上がり、そのまま姿を現したのが、
「ルイっ!」
わんこには“飛びついちゃダメ”と言ったくせに、自分の方こそついつい気が逸ってだろう、素晴らしい反射で駆け寄りかかってた小さな坊や。寸前で我に返って、あわわと立ち止まった一連の動作が、何ともかわいらしくて、周囲の大人たちからの苦笑を誘う。
「…えと。」
あらためて“そぉっ”と顔を上げれば。そのまま飛びついて来てもよかったのにということか、広げかけてたらしき腕が、手持ち無沙汰な高さで止まったまんまになってるお兄さんが、やっぱり小さく笑ってて。それへと…1歩2歩と近づいてから、そぉっとそぉっとお腹の辺りへ。頬を伏せつつ抱きつけば、長袖のシャツを畳むみたいに、小さな背中を長い腕がくるみ込んでくれて。ああ、暖ったかいね。全身で凭れかかるなんて、こんなして懐ろに掻い込むなんて、こういうのはホント久し振りだねと。見上げて来た、見下ろしたお顔へ、ほぼ同時に“くふふvv”と笑い合う。
「お帰り。」
「ああ、たでーま。」
一体どこの新婚さんでしょうか。(おいおい) それとも…何か悪さをして囚監されてた問題児さんのお帰りでしょうか。(こらこら) そうなると、迎えたのはやはり姐御でしょうか。(ちょっと待て) 50センチから身長差があるお二人さん。いつもだったらここでお兄さんがひょいっと抱き上げるか、若しくは早く早くと手を引いて促すところだが。まだ完全じゃあないだろからって、そこんところはわきまえて。大きな手を取り、さあさ中へと…ゆっくり促しかかった坊やだったが、
「きゅう〜ん。」
いつの間にか、二人の傍らへ。これも駆け寄ってたキングが、お尻尾を千切れんばかりに振ってお座りしていて。それへも“よしよし”と、葉柱のお兄さんが大きな手のひらを差し出せば、
「〜〜〜〜〜。」
「…どした。」
何だか一気に、預けた側の手へと伝わる体感温度が下がったような。何事かとそちらを見やれば…むいと下唇を突き出している白いお顔が、上目遣いにこっちを睨んでおり、
“判りやすいのな〜。”
いっそ意外なくらいに素直なリアクションへ、そういえばと想いが至ったのが。
「3日振り、だのに。」
「そう、だったかな。」
「そだぞ。」
1週間の入院中、坊やは当初こそ毎日お見舞いに来てくれていたのだが、昨日と一昨日は来なかったので。お顔を合わすのは3日振り。たかが3日、しかもメールはちゃんとやり取りしていた。だってのに、頭撫で撫でをキングが先にもらったのが気に入らないらしい。とはいえ、
「来なかったのはお前の方じゃんか。」
来てくださいとも来るなとも、総長さんは言ってはいない。坊やの気分次第のお見舞いだったのだからして、それはこっちにゃ責任のないことだと主張すれば、
「だってさ…。」
それでもヤなもんはヤだと、不合理・理不尽な駄々は捏ねたくないのかな。理性的で冷静な坊や。他でもない自分の日頃の習いが、無意識の制御を呼んでか…その口許に意固地な鍵をかけるから。
“…しゃあねぇな。”
面倒な奴だと苦笑をしつつ。うつむいた坊やの手の中から大きな手がすっと離れて、そのまま…
――― え?
撓やかな若木のような幼い細腰に、長い腕がくるりと巻きつき、あっと言う間に抱え上げてる。
「ちょ…、るいっ。」
小さくたって 20キロはある。軽くはないのに、お腹に力がかかるのに。まだそんなコトしちゃダメだってと。自分で降りようとしてもがいて暴れかけ、でもそれだともっと負担がかかると素早く判断が働いて…動きが凍る。そこまでの計算があったのかどうなのか。総長さんは大して苦もなさげに、ジャケットに覆われたがっつりした肩の上へと坊やを担ぎ上げ、そのまま玄関までの短い階を上ってお家の中へ。それからね?
「なあ、何で来てくれなかったんだ?」
「水曜は5限目まであったし、掃除当番だったから。」
「…昨日は?」
「……………。」
しまったなぁ、お顔が背中の側になってて、どんな表情なのかが判らない。易々と胴の幅がまるまる肩の上へ収まってしまった細っこい肢体は、出来のいいビスクドールのように固まって動かなかったが、
「だって。抜糸っていうの、したんだろ?」
ぽそりと呟き、小さな手が…体を支えがてら突っ張ってた大きな背中を、そぉっと撫でて。ああそうか、この子ったら。それが怖かったのか、それとも思いやってくれたのか。万が一、傷が開いたらって思うあまり、病院まで逢いに来れなかったのらしくって。
「馬っ鹿だな。大丈夫だから糸抜いたんだろが。」
「馬鹿 言うな。」
「馬鹿だから馬鹿って言ってんだよ。」
「大体、今時の手術だと抜糸なんてしないやり方だってあるんだろによ。」
「しょうがねぇだろ。鷹巣先生は親父の代からの主治医さんなんだからよ。」
玄関ロビーに上がったところで、とうとう“とんとん”と軽くながら背中を叩かれたので。頭に血が昇りでもしたかと、背中へ手を伏せ、脚を抱えて。ゆっくりと下へ降ろしてやれば、いやに神妙なお顔が仰向いて来て、
「もう怒るな。傷が開くぞ。」
「……………。」
何と申しましょうか。どっちが大人で年上なのやら。心持ち屈みかけてた上体を、ほらと小さな両手で押されて姿勢を戻した総長さんの、何とも言えない表情へ。後へと続きかけていたメグさんや高階さんは、吹き出したいのを堪こらえるのに相当苦労なさったそうで。いやはや、やっぱりそういう相性なんですかね、このお二人さんは。(苦笑)
おまけ 
二階のお部屋に落ち着いて。病院へと持ち込んでいた身の回り品も、定位置へと戻し。メグさんが最後に抱えて来た例のクッションを、坊やに渡して“それじゃあね”とドアが閉まって。今日一日は大人しくしてなと、これもメグさんからベッドへ追いやられたお兄さんへそれをリレーし、
「ほら。とっとと横になんな。」
肩に手を置き、おらおらと押すので。言う通りに横たわったお兄さん。
「なあ。」
「んん?」
「この後、撮影の仕事でも入ってんのか?」
「ん〜ん。」
ふるふるとかぶりを振る坊やだったが、今日の装いは何だか凝ってて。V字に開いた首回り。フリルのドレープもフェミニンな襟が、それは華やかな、ホワイト・サテンのブラウスは。ワンピースに出来そうな丈の裾が、琉金とかいう金魚の尾っぽみたいにランダムに波打ったまま、藍色の七分丈パンツのお膝の上にて ひらひらしており。それを、やっぱり藍色のGジャンのウェストカットの裾から大胆にもはみ出させているところが、ワイルド・キュートというか、マニッシュ・ファンシーというかで、ミスマッチな筈なのに不思議と愛らしく決まってる。そういう小じゃれたカッコがまた、突飛な仮装になったりせず、いっそ彼のために用意されたもののように馴染んで見えて。そんな“愛らしさ”という素養を生かして、飛ぶ鳥落とす人気のアイドル、桜庭春人のポスターや写真集の撮影にはいつも駆り出されている彼だったというのを思い出し、それでと訊いた総長さんへ。
「これはルイのおばちゃんがコーデュネイトしてくれたんだぞ?」
「お?」
春のイメージで、だって。今年の春のトレンドはトレンチコートらしいんだけれど、だからって、それをまんま着ちゃうんじゃ芸がないでしょってさ。そうと言い返されて、
――― 寒くねぇのか?
平気だ、ベスト着てるし、家ん中だし。
そういうのは…なんつーか、好みじゃねぇだろによ。
そうでもないぞ? ここぞって時の“勝負服”ってんだろ? こういうの。
しゃあしゃあと言ってから うくくと笑うあたり、実はまんざらでもないらしく。
「ルイもそうだけど、俺も四月からは もう三年生だからな。」
「お、おう。」
それは、そうだよなと応じてやれば、
「三年生からは、もも組とか みかん組とかじゃなくなるし。」
「ふ〜ん。」
「すぐにも九歳になっからよ。何たって一桁最後の年だからな。今 出来る無茶は今のうちにやっとかねぇと。」
後になって“あれもこれも やっときゃよかった”なんて後悔しても遅いからなと、感慨深そうに…ちょいと遠い目をするもんだから。
“一体 何を、九歳のうちに やっときたいんだろ…。”
是非とも訊いておきたいような、けどでも。知ってしまったら、それをこそ後悔しそうな。そんな気がして複雑だった、総長さんだったそうですよ?(笑)
〜Fine〜 06.03.04.〜03.05.
*いやもう…何と言いますか。
何が書きたかったかって、最後の“一桁最後の年”云々というのを、
ただそれだけを書きたかったという我儘極まりない代物です。
次は『遥かなる〜』を進めますね?(苦笑)
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